[1] 禁断の名無しさん 2011/07/17(日) 00:19
その昔、世界中にその名をとどろかせた「竹の家」を知っている方、話を聞かせていただけませんか。
その昔、世界中にその名をとどろかせた「竹の家」を知っている方、話を聞かせていただけませんか。
[2]
。「竹の家旅館こぼれ話」
「ゲイの考古学」の取材の際に、淫乱旅館(ハッテン施設)の元祖である竹の家旅館で店主に伺ったこぼれ話。
いまはもう店じまいしてしまった竹の家旅館は、大阪の西成にあって、当時は東京のゲイがこぞって訪れるほどの人気だった(詳しくは『ゲイという[経験]増補版』収録の「ゲイの考古学」)。
(当然のことながら?)かつて三島由起夫も来たことがあったらしいし、やはりもう亡くなった有名デザイナーの○○○○もよく足を運んでいた。「○○○○さんは遊びがきつくてね、他のお客さんに嫌がられることもありましたよ」。女性と結婚して子供もなし女性の愛人までいた(と報道されていた)彼は、どうも男性との関係ではSM嗜好が強かったようだ。
面白かったのは、あまりの竹の家の評判に、タレントの故ミヤコ蝶々が突然やってきて、中を見せてくれと駄々をこねたというエピソード。それから、その名は海外にまで伝わっていたようで、アメリカのゲイ旅行客が観光バスで訪問したこともあったという。
。「竹の家旅館こぼれ話」
「ゲイの考古学」の取材の際に、淫乱旅館(ハッテン施設)の元祖である竹の家旅館で店主に伺ったこぼれ話。
いまはもう店じまいしてしまった竹の家旅館は、大阪の西成にあって、当時は東京のゲイがこぞって訪れるほどの人気だった(詳しくは『ゲイという[経験]増補版』収録の「ゲイの考古学」)。
(当然のことながら?)かつて三島由起夫も来たことがあったらしいし、やはりもう亡くなった有名デザイナーの○○○○もよく足を運んでいた。「○○○○さんは遊びがきつくてね、他のお客さんに嫌がられることもありましたよ」。女性と結婚して子供もなし女性の愛人までいた(と報道されていた)彼は、どうも男性との関係ではSM嗜好が強かったようだ。
面白かったのは、あまりの竹の家の評判に、タレントの故ミヤコ蝶々が突然やってきて、中を見せてくれと駄々をこねたというエピソード。それから、その名は海外にまで伝わっていたようで、アメリカのゲイ旅行客が観光バスで訪問したこともあったという。
[4]
おや、こんな懐かしい名前が。
わたしが、竹の家最後のせだいかしら、たしか、昭和60年代初めに閉店したみたいだから。でも、すごく隠微な雰囲気はあったわ。客層も、いろいろだったし、土地柄、ガテン風のオトコも多かったね。
いまでも、建物だけは残っているみたいよ。あの、紫色のドアがなつかしいわ。
おや、こんな懐かしい名前が。
わたしが、竹の家最後のせだいかしら、たしか、昭和60年代初めに閉店したみたいだから。でも、すごく隠微な雰囲気はあったわ。客層も、いろいろだったし、土地柄、ガテン風のオトコも多かったね。
いまでも、建物だけは残っているみたいよ。あの、紫色のドアがなつかしいわ。
[5]
昔の薔薇族に竹の家の話が載っていた気がするなあ
昔の薔薇族に竹の家の話が載っていた気がするなあ
[6]
懐かしついでに、、
竹の家には週末なんかには東京からの客が多かったね。結構、芸能界やスポーツ選手等の有名人も実際に見た。あのころは、有名人を見ても何か同類意識のようなものがあって、特別扱いもしなかったような、、ネットなんてものもなかったし、のんびりしてたね。
大阪を代表するようなホテルのコンセルジュに「大阪でのゲイの集まるところは?」って聞いた外国人に、takenoya is most famousって教えたって話もあった。人が多すぎて3階の床が抜け落ちたってはなしもあったねえ、、
いい時代だったかもしれないね。
懐かしついでに、、
竹の家には週末なんかには東京からの客が多かったね。結構、芸能界やスポーツ選手等の有名人も実際に見た。あのころは、有名人を見ても何か同類意識のようなものがあって、特別扱いもしなかったような、、ネットなんてものもなかったし、のんびりしてたね。
大阪を代表するようなホテルのコンセルジュに「大阪でのゲイの集まるところは?」って聞いた外国人に、takenoya is most famousって教えたって話もあった。人が多すぎて3階の床が抜け落ちたってはなしもあったねえ、、
いい時代だったかもしれないね。
[7]
私なんて、竹の家の縁で赤井英和の後援会にまで入ったわよw
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